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引き続き、歌舞伎に関連するお話を少し。

大学で演劇を専攻しておりました。

私の母校は教育の一環としてコンサートや舞台公演観賞をさせてくれる学校でして、
学部単位で行くこともあれば、
専攻が専攻なので、そちらの企画で行くことも多くありました。

クラシックのコンサートやオペラに、バレエ(モーリス・ベジャールの公演でした(゚∀゚))。
さらには、蜷川幸雄演出作品や、海外劇団のシェークスピア劇(東京グローブ座には結構通った気がする)。
ミュージカル(劇団四季でした(笑))もあれば、
本多劇場で割りと有名な俳優さんたちが出演する軽めの芝居を観たこともありました(ただ、これば駄作で全然おもしろくなかった(爆)一体誰が選んだんだろう・・・)

そしてもちろん、能・狂言に歌舞伎


…なんか、こうして並べてみると、すごいな( ̄▽ ̄;)…
ほとんどオールジャンルではないか(笑)
何て恵まれた学生時代だったんだろう。


その時の歌舞伎は、確か国立劇場だったと記憶してます。
(永田町の近くにあるんですよね。あの街並みって、何か圧倒される独特の雰囲気があって、ちょっとドキドキしながら駅から劇場まで歩いた^^;)

何を観たか題名は覚えてないんですが、
もうイヤホンガイドが無いとアウトな時代物大作でした。

先日観た『怪談乳房榎』は対極的な作品なので単純比較はできませんが、
活気が当時とは変わったんだな、という気がしました。

私が初めて観た頃の歌舞伎は、どうやら伝統に対して非常に保守的な時代だったようです。

ちょうどその少し前、その保守的な歌舞伎界に風穴をあけるように、
二代目市川猿之助さん(現・猿翁さん。市川中車(香川照之)さんのお父上です)が、奇抜な演出を売りにした『スーパー歌舞伎』の上演をスタートさせた頃です。


特に話題になっていたのが、ジャニーズもビックリの『フライング』(笑)。

(というか、今でこそジャニーズのコンサートや舞台で当たり前にやってますけど、多分始めたのはこっちが先じゃないかしらね?)

ただその奇抜さ故に歌舞伎界の中からも批判も浴び、異端扱いをされていたそうです。
確かに、当時の私でさえ「え?いいの?そんなことやっちゃって」と思いましたから、
それだけ歌舞伎は世間的にも『古典』『伝統』の色が強かったんですね。


その時に観た演目で、実はよーく覚えてることがありまして。

主役級の武士vs適側の下っ端侍7人との立ち回りのシーンがあったんですが。

見えちゃったんですよ。

ズラッと並んでる侍7人の、後方6人目7人目あたりが手ぇ抜いた芝居をしていたのが(笑)。

終演後、友だちとの間でちょっと話題にのぼりました。

ま、心理としてはありがちなことなんですがね。
その他大勢の端役が、
端役だからとナメて悪目立ちをしてしまうという。

主要キャストがどんなに良い芝居しても、これでぶち壊しになっちゃうことも多々あるんですけどね~。

人間って、やーねー。
演目の題名や誰が出てたかも覚えてないのに、
こーいうことばっかりがっちり記憶に残ってるんだからさ~( ̄▽ ̄)。

創り手側の気運(つまり、当時の歌舞伎界の気運)が、こーいう所ににじみ出てたのかなー、なんて今にして思ったりします。

歌舞伎は独特の様式美の世界ですし、
何せ500年の歴史の蓄積があるわけですから、
古典という位置づけになるのは当然っちゃ当然なんですけど。

その伝統に帰結するだけでは、
ごく一部の通かオタクか、研究者だけのものになってしまうんですよね。
少なくとも新しいファンは増えない。


新しい風が入らなければ空気は淀みます。
猿翁さんも勘三郎さんも、そのことに対する危機感が大きかったんだろうなあと思います。
今現代に普通に生きている人が楽しめるように、
歌舞伎を『生きた舞台』にするするために。

事実、勘三郎(当時は勘九郎)さんが『怪談乳房榎』を初演した直後に歌舞伎ファンが増え、歌舞伎座で歌舞伎の公演が一年中行われるようになったというんですから・・・

(逆に、歌舞伎座なのにそれまで年間に渡る公演ができていなかった事のほうが今となっては驚きですけどね^_^;)

こう考えると、
歌舞伎の大きな転換期を目の当たりにしたのかもなぁ。
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おまえの弁当箱の中身を全部モヤシにしてやる※デーモン小暮閣下風にお読みください

3月18日 赤坂大歌舞伎『怪談乳房榎(かいだんちぶさのえのき)』を見た!!

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